子育ての辛さと属人的なことは悪か?を疑うこと

今日もお疲れ様です、香椎万弥です。

以前に「なぜ現代の子育ては辛いのか」についてまとめたことがあります。

そちらで書いたことを簡単にまとめると、

  1. モデルがいないから
  2. 支えがないから
  3. 自信がないから

以上の3点が現代の育児をするお母さんたちにとって子育てを辛くさせている原因なのだろうなと考えたのでした。

そして最近読んでいた本の中で、私は4つ目の原因を発見してしまったのです。

いまの時代は、「一人の人間」をほうっておいて、うまく体系化するということを上手にやっているのです。おかげで、我々は気軽にあっちへ行ったりこっちへ行ったりすることができる。一人の人間として切符を買い、一人の電車に乗って電車に乗りとやっていたら、疲れ果てると思います。切符を買うために「どうか、お願いします」と言い、「まあ、あんたのことですから、売りましょうか」などとやっていたらふらふらになってしまいます。

要するに、物事をうまく体系化することで、一人の人間としてもっている力の千分の一、万分の一を使うだけで済むようになっているのです。昔は東京へ行って帰ろうと思うとそれこそ大仕事で、すごいエネルギーを使いました。それを、楽に行って帰れるようにした。ところが、あまりにそれをやりすぎて、「一人の人間が生きている」ということを、我々はだんだんと忘れてしまったのです。

創元社 河合隼雄のカウンセリング講話

これって、いまどきのお母さんにピンとくるでしょうか。伝わりにくいところがあるかもしれません。

私は少し古い田舎の出身なので、ちょうどこうした感覚の過渡期にあったように感じます。だからこの感覚も少しはわかるのです。

例えるなら、かなりさかのぼって日本が都道府県になる前、自分の住んでいる藩を出るのには通行手形を発行してもらわなければならなかったんですよね。

そういうときには「庄屋の〇〇さんところの大旦那さんにお願いしたら」だとか、「ちょうど〇〇の本家が同じ方へ行く話があったらから、ついていけるか頼んでみたら」なんていうような。

特定の権利を得るために、権力とノウハウのある人に毎度お願いしていたというのが実は長い期間、常識としてあったわけです。

だから昔はご近所さんの噂話は大切だったし、権利のある人には嫌われないようにしないと生活できなかったのですね。
みんなふらふらになりながらも、人との付き合いでなんとか自分の権利を獲得していたわけです。

前時代にはそうした【属人的】な生き方が当たり前でしたが、現代はそれがかなり悪いものとして扱われています。

マニュアルを整え、体系化された組織で仕事をし、ノウハウは組織で把握して。
誰かの働き方に依存しないで、どんな人にいつでも交替できることが良い職場である。
そんな考え方が現代の常識です。

それなのに、今でもなお子育ては変わらずお母さんに依存しています。
子育てというのはなんて【属人的】なのでしょう!

この、誰にも変わってもらえない仕事をしなければいけないことが、今を生きる人にとってかなり辛いことなのではないかと思うのです。

それならばお母さんをいつでも交替できるようにすればよいというわけではないのが、子育ての大変なところなのです。

私の発見したというのが、現代の子育てが辛い4つ目の原因、属人的な仕事をみんなし慣れていない、ということ。

私にしかできない仕事、というととても聞こえは良いですが、誰にも変われない仕事というのは大変な重責。
それなのに、そんな仕事のやり方は間違っているという常識で生きてきた現代人にとって子育てかなりやりづらいものになっているのではないでしょうか。

お母さんだけが子育てするのでは当然ありません。
お父さんも、保育士さんや先生、祖父祖母親戚、兄弟姉妹、ご近所さんも多くの人が人の成長には関わってくれるはずです。

でも、この子のお母さんというポジションを交代することはできません。
「仕事をしている方が子どもとつきっきりより楽に感じられる」というお話も、お母さんというポジションであることから離れられる心のゆとりが関係しているのではないでしょうか。

人が育つには、まず身近な存在に依存し満たされることから始まります。これ以上ない【属人的】な経験をへてみんな成長しているのですが、そんなことをすっかり忘れて大人になっているのです。

お父さんというのはもちろん母親と同じく責任あるポジションですが、まだまだ「〇〇ちゃんのお父さん」として扱われる時間はお母さんと比較して少ないでしょう。
もしかすると子どもが成人するまでの資金を準備しなければならないという仕事へのプレッシャーの方が大きく感じられている人の方が多いかもしれません。

お母さんはどうしても代替を用意するには難しいポジションであることはこれからも変わらないでしょう。

私も長く、「夫にもっと子育てに参加してほしい、私が病気にでもなったらどうするんだ」とイライラしていました。もしものときに代われないと困る!と。

それから子どもは成長し、私が病気になって少々いなくなっても自分でご飯くらいは食べられるようになりました。
それでもやっぱり、私がいなくなると子どもは不安定になるだろうと思うのです。
それは、私が「お母さんだから」。

病気をすることもおちおちできないなんて、酷い仕事ですね。笑

子育ては、この先社会に変わってもらってもっともっと父親に参加してもらいたいですし、子どもを預けることのできる環境もまだまだ足りません。

ですが、もう一つ私が子育てしづらい社会に提案できるとすれば、この【属人的】な仕事は悪いものであるという世の中の常識を少し疑う機会が、出産前に多くの人にあれば良いなと思うのです。

実は、誰にでもできない私に依存したものというのはあって当然なのだということを、子育てでいきなり知ることにならなければよいなと思うのです。

現代は情報が多い分、疑う機会が少ない。
属人的なことが合わない場面と属人的なことが必要な場面は同等にあるはずだということが、社会全体がビジネスに偏っているせいでなかなか感じられません。

今が辛いお母さんにお伝えできるならば、その辛さはこれまでに出会ったことのなかった【属人的】な仕事をなさっているからなのですよとお伝えしたいです。辛さの正体が一つ見えると、ちょっとだけスッキリしませんか。

お母さんと子どもの世界はそれぞれ、検索しても正解のない唯一無二の関係なのです。狭くて、重くて、密でしんどいもの。どうせなら、面白がれたらいいですね。
子育て星読みがその一助になれたらいいなと私は思っています。